ノーノーノーライフ(No Noh,No Life)

能狂言のこと、伝統芸能のこと、観劇レポートなどをかきます。15歳ころ能楽に出逢う。多摩美術大学芸術学科卒。12年間伝統芸能の専用劇場に勤務。スペースオフィスというユニットで能狂言グッズなど作っています。Twitter@ofispace

道成寺、コミュ障の清姫_1

中学2年か3年の時、初めておのう(能楽)を観た。

誰の、何の会だったのかは残念ながら全く思い出せない。

記憶が曖昧なくせに、なぜ時期を断定できるかというと、友人のMに誘われたからだ。

 

私はその頃まわりの子とほとんどこみいった話はしなかったが、絵にかんしては中2から一緒のクラスになったMとよく話した。

そして彼女は展覧会やオールナイトの映画イベントなど、中学生にしてはちょっとした冒険心を必要とする、あらゆる興味あるものに私を誘ってくれた。

彼女が私を誘う時はいつも、ねえちょっと聞いてよ、と興奮気味に手を振り、顔は楽しみがこぼれてにやにやしていた。

そうして私は彼女に誘われるまま、おのうを観に行った。

 

水道橋の、宝生能楽堂だった。観たのは、道成寺(どうじょうじ)。

Mは気合いを入れすぎて、1列目のま正面の席を取っていた。

いま考えると道成寺は人気なので、予約の開始時刻に電話戦争に加わり、勝ち取ったのだろう。

見るからにわくわくしていた彼女曰く。舞台で人が鐘に飛び込むらしいが、その時、重い鐘に頭を打って、血みどろで死んだ人がいるらしい、幽霊が出るかも知れないよ。

ある意味幽霊が主人公なのだから言い得て妙だ。

私は、能楽堂の雰囲気にすっかり魅了されていた。静かだった。

 

 

 

道成寺は、危険な演目だ。

鐘は、作り物で竹製とはいえ、きれいにどすんと落ちて、跳ねたりしないように、鐘のふちに重りが入れてある。

各流儀(5流ある)で鐘への入り方はそれぞれ違うけれど、アクロバティックな流儀の時は、横っとびで入る。

またどの流儀も鐘が落ちて来るところへ飛んで入るので、タイミングがずれると頭を打ちかねない。

能楽師さんは見えない筋肉が非常に発達しているが、それでもたまにしか演じない道成寺(大事な曲なのでぽんぽんやらない)で飛ぶということになると話は別のようだ。

死、あるいは危険に、あえて自ら近づく演目。

まつりや民俗芸能では、命がけ、危険なことを行うものが多々残っていて、実際命を落とす人がいたりする。なぜわざわざ、と疑問が浮かぶかもしれないが、おそらく荒ぶる神などにはそうしないと近寄ることはできなかったのではないか。

道成寺は、それに近いのかも知れない。

 

 

 

おのうの道成寺はわかりやすく言うと、ストーカー惨殺事件の後日譚、とでも言おうか。

和歌山県にある道成寺が舞台で、「安珍清姫(あんちん・きよひめ)伝説」として知られている話を下敷きに作られている。

伝承は他の芸能にもなっていて、それぞれ微妙に違ったりするが、おのうの道成寺で語られる話をもとにする。

 

事件は、とある山伏(安珍)が、真砂の荘司(まさごのしょうじ)という者の家へ、熊野詣の折にたびたび宿泊していたことに端を発す。

ちなみに、安珍はイケメンであった説が有力である。

荘司には幼い娘(清姫)がいて大層かわいがっていたが、その娘に、あの山伏が将来の夫だよなどと言っていたらしい。

親バカなのか、安珍がイケメンだったからなのか、清姫安珍を見つめていたからなのか。わからないが、そのすべてのように思う。

少女は、父の戯れを鵜呑みにしてしまう。

清姫は、きっとこれが初恋だったのだろう。しごく純粋に、安珍が結婚のため自分を迎えに来てくれるのを待った。

 

 

(2へ続く)