道成寺、コミュ障の清姫_2
(3の続き)
とある安珍滞在の夜。清姫は、彼の眠る閨(ねや=寝屋、寝室)に入りこむ。
そして、いつまで私を放置するの、早く迎えに来てよ、と安珍をなじった。
安珍はたまげて、逃げ出す。
ここで、世の大半の女性が安珍に対し怒りを覚えるかも知れないが、とりあえずそれを傍に置いておく。
考えられ得るのは、安珍は清姫のことを1ミリも想っていなかった、父の戯れはひそひそ声で安珍に聞こえなかった、あるいは聞こえていても子どもへの冗談の類としか思っていなかった。
ましてや僧侶。いわゆる生臭坊主の方も大勢いたとはいえ、定期的に熊野詣しているということは、仏教で悟りを得たい、人を助けたいと希望に燃え、戒律を破るタイプではなかったのではないか。
清姫は、少女としか書かれておらず年齢不詳。
安珍は熊野詣をするくらいだから、ある意味小坊主などではなく独り立ちした、修行中の20歳前後の僧侶といったところか。
すると少女に手を出さなかったまともな男性とも考えられる。(先ほど安珍にかすかに怒った女性たちはここで多少トーンダウンできるだろうか。)
こういった細かい個人的な状況はおのうではカットされ、必要最低限の部分しか話されない。
それをどのようにイメージするかは観客に全て任され、だからこそ自分とどこか似ている人を、おのおのが舞台上で見つける。
安珍は、清姫がかわいくないという理由で逃げたのかも知れない。
清姫側がコミュニケーション下手、いわゆるコミュ障で人間関係を築くのが困難だったのかも知れない。
におわせたり告白もせず、とつぜん迫るあたりが、かなり思い込みの激しいコミュ障を思わせる。
でも、どれであってもいいし、どれであっても普遍だ。
コミュニケーション下手と思い悩んでいる人は「コミュ障の清姫」を観に来てもいい。
ただ、現代のコミュ障の人というのは、昔と認識が少し違う気がする。
おそらくだが、少し前では考えられない、ひとりひとりの世界がいま作られつつある。四六時中のスマホ生活、中でもSNSの細分化がそれを象徴している。
もはや新しいコミュニケーションでなければ、通じあわない時代になったのではないか。
空気を読めなければ排除され、出る杭は打たれるというような、万人を均質化しようとする動きはまだ存在する。しかし空気は解説が困難だし、どの板を基準に杭が出すぎているのかもわからない。
これらは、ある時代の日本をたしかに作り、前に進む原動力だったこともあるだろう。
けれど空気や杭を、的確に描写し、納得してもらえなければ、みんな途方に暮れることになる。そして途方に暮れていることは少なくない。
変わる代わりに、新しいコミュニケーションは手探りしないとならない。
どんな自分も、人と人との関係性がなければ発見されないし、対称でしか私たちは自分を推し量ることはできない。
だからこそ、観客としてシテを客観視する関係性が、これからもっと大切になるだろう。
舞台上のシテに私のかけらを見つけ、誰しもが同じく人間であると逆に発見すること。
なぜならおのうは、切って繋ぐものだからだ。
話がそれた。
かくまえるような場所がなかったので、道成寺の僧侶たちは鐘を下ろし、その中に安珍を隠した。
しかし清姫が寺の手前の日高川にさしかかると、目の前の川は増水していた。
川岸を上へ下へと惑い走るが、そのうちにとうとう「一念の毒蛇」となって、川を泳ぎ渡り、道成寺へ辿り着く。
おのうの謡の凄さは、蛇への変身シーンでただひと言「一念の毒蛇となって」としか書いていないところで、清姫の前後の気持ち、心のうちは一切描写がない。
それまで人間だった清姫は「一念」であっという間に毒蛇となった。
一念とは、深く思いつめた心のこと。
安珍のことを想いつめ、迫ったら逃げられ、清姫も驚いたにちがいない。
なぜ逃げるの、私と結婚するんじゃなかったの、こんなに私はあなたのことを想っているのに、話せばわかってくれるはず。
川が増水して渡れない、流れが早くてこわい、どうしよう、泳げば死んでしまう、でも、あの人は向こう側にいる。
きっとここまでは、人間の少女だった。
なぜ私は川辺で惨めに右往左往しているの、こわい、あの人は迎えに来ない、私から逃げた、私の気持ちを踏みにじって、ひどい、許せない、許せない、許せない。
純粋ゆえ強烈だった安珍への恋心は恨みに変わり、その変化とともに清姫は毒蛇になる。