道成寺、コミュ障の清姫_3
(2の続き)
とうとう清姫は下ろされた鐘に気づき、鐘に七巻き巻きつくと、炎を出した。
心は、すべてを支配し人を変化させることができる。
相手を想う気持ちは、受け入れられなければその分、自分にはね返りふくれあがるのか。
道成寺での事件後、年月が過ぎた。
鐘は障りがあると鐘楼に上げられなかったが、この日はとうとう鐘を上げ再興を祝う日で、女人禁制と言い渡されていた。
しかし過去の事件を知らない道成寺の僧侶は、鐘供養に舞いに来たと言う白拍子(しらびょうし)を調子よく寺に入れてしまう。
緊迫した静けさの支配する、鐘の吊られた能舞台で、道成寺の特殊な乱拍子(らんびょうし)は舞われる。
空気を整え、切るのは、小鼓ただ一人の音と息。
シテは、足先を上げ、下げる。そして沈み込み、足を踏む。
白拍子は、舞ううちに、思い出す。
愛しい誰かへの、恨みの心。毒蛇になった、自分の心の哀しみ。
鐘が落ちる。
道成寺を初めて観た中学生時代、いま思えば私はコミュ障だった。
まわりの子たちは、そもそもなぜあんなに明るくおしゃべりできるのか。ほんとうは、私もその輪に違和感なく溶け込みたかった。
だが関係性を気にして敏感になりすぎ、一人でいるのがいちばん楽だった。だから学校の小さい図書室の本はあらかた読んでしまった。
一人に没頭できるなら、本でも、漫画でも、ゲームでも、なんでもよかったのだ。
美術の時間も、絵を描けるし、一人に没頭できるので好きだった。
人と楽しくかかわることはこの先もない、と思っていた。
その日、完成した私の絵を見たMは急に近づいて来た。自分は将来も絵を描き続けたいのだ、ときまじめな顔をして、理想の絵の話を始めた。
彼女の絵はその時からうらやましいほど独特ですてきだった。
時間は伸び縮みし始めた。
他人がこわかったり腹が立つのは、おそらくそこに自分のかけらが見えないせいもある。
コミュ障で、毒蛇で、月日が経っても過去から逃れられない清姫。そこにも、自分のかけらが潜んでいるのを見つける。
安珍が、もし清姫から逃げず、父を交えて話し合うなり、していたら。
こっぴどく振られた女性が、蛇になることはなかっただろうか。
でもそれもすべて過去の妄想。かなわないから、おのうのシテは、足を踏む。
蛇は、龍でもあり、また鬼でもある。
亡霊として能舞台に出てきた清姫は、鱗紋(うろこもん)の着物を中に着ている。これは、鬼が着るものと決まっている。
鐘が上げられ、清姫の亡霊が改めて鬼の姿をあらわにした時、鱗紋の着物もあらわになる。
鱗紋は龍の鱗でもあるが、蛇、鬼も表す。
鬼については、また別に記さねばならない。
道成寺縁起(室町時代)のポストカードが引き出しから出てきた。蛇の清姫が炎で鐘を焼き、左は黒こげになった安珍と、それを見つめる微妙な表情の道成寺僧侶。
※白拍子=踊り子の女性、またその踊り。遊女も多い。
※鱗紋様=三角形を組み合わせたデザインの紋様。