恋重荷、タイトルからつらい
なんというか、恋愛というのがうまくいかない同級が多い。
みな、興味があるし、寂しいし、今後を考えても、ひとりじゃあねえ、と言う。
おひとりさまになる覚悟をしている人は、この30代の世代、ひとりもいない。
でも現状、なかなか相手に巡り会えない。自分ひとりでは解決できない、相手ありきのどうしようもないことので、必然、悩む。
この社会が自由恋愛になったのはいつからだったのだろう。
祖父母たちのことを含めて考えても、とりあえず60年ほど前は、お見合いも恋愛結婚も等しくあったと思われる。
好きな人がいればなんとかするし、好きな人もおらず異性とのお付き合いも下手という人は親戚のおばさんが面倒をみてお見合いもしたのだろう。
女性が本腰を入れて社会進出していくのも、この頃からだろうか。
もちろん、うちの大家さんのように結婚していない女性の方もいる。
面倒をみる親戚のおばさんがすっかりいなくなったのは、きっとここ30、40年位ではないだろうか。
それでも、地方出身の友人などは、やはり面倒見のいいおばさんからお見合い話を持ちかけられていたりもして、まだ紹介が健在な地域もある。
好きな「選択」ができるようになった。それは自由だと思っていた。
でもそれで手に入れたものは、本当に正しかったのか。心に従った選択は、良かったのか。わからない。
基準は、自分。でもこれほどあやふやで頼りないものを頼っていいのかどうか。
みな、そういう不安も見え隠れする。自分も然り。
でもえてして、どっちでもいいや、と思っている時に何だか出会いや将来を見据えるような出来事がある、ということが多い気がする。
そして寂しいと言って相手を求めていると、出会えない気がするのだがどうしてなのだろう。(もちろん目的に邁進して相手を見つけた人もいる。)
人生はうまく行かない。
おのうの「恋重荷(こいのおもに)」は、もうタイトルからして重い。
恋の重荷。そのままだ。
むかしから、男女問わず恋の和歌ばかりだったことを思っても、この土地の人間のおおかたの悩みは恋なのだろう。
「恋重荷」のシテは、山科の荘司(やましなのしょうじ)という。白河院の屋敷の庭の、菊の手入れをする庭師のおじいさんだ。
彼は、偶然その屋敷の女御(にょうご、天皇に仕えた女官)を見かけて、彼女に心奪われてしまう。
かつて高貴な身分の女性は人目につくところにあまり出なかった。日に焼けておらず色白で、どこか儚げな美人だったろうか。
彼女に恋するあまり、庭仕事が手につかなくなる荘司。かなり重い恋の病だ。
そう、恋は病でもある。
身動きできなくなる人もいれば、極端に動きすぎて周りが迷惑することもある。
そして荘司の恋は、周囲にもなんとなく知られてしまっていた。
女御の耳にも入ってしまい、おもしろがった女御は、この荷を持って庭を百度千度まわるなら、その間に自分の姿を拝ませてもいい、と臣下づてに荘司に言ってくる。
上から目線の物言いは、まあ当時の身分制度でふつうのことだったろう。
荘司は意気込んで、これこそ恋の重荷、恋に溺れたこの身が持ちましょう、とその申し出を受ける。
女御が用意した荷はとても美しく、刺繍を施したきらびやかな布で包んであり、いかにも軽げに見えた。
恋の時間はきらきらと、すべてが美しく輝いて見える。
しかし荘司がその荷を持ってみると、あまりにも重すぎて、いくら持とうとしても持てない。
荘司は精魂尽き果て、絶望し、女御を恨んで「恋死に」してしまう。
女御は驚く。冗談めかした洒落のつもりだった。
荘司の恋を諦めさせようとして、重荷を作り、美しい布で包み、軽げに見せた。
重くて持ち上がらねば、そもそも荘司には身分違いの「荷が重い」恋で、恋の叶わないしるしだ、と彼も悟るだろうと考えて。
だがそれを思慮するには、荘司は恋の病にかかり過ぎていた。
病は、冷静に対処できるものではない。試されている、とか、ここで頑張らなければ、と思ってしまう。
相手の心を欲しがるのはなぜだろう。恋をしたら、その状態を楽しむだけでは済まずに、自分に足りない何かを相手に見ている。それを欲しいと切に願う。
自分を気にかけて欲しい、見て欲しい、気づいて欲しい。
しかし自分はその相手に対し、どれほどの「何か」をさしだせたのか。
菊の花の世話をする荘司は、寡黙で植物を愛する優しい人間だったのではないだろうか。
怨霊となって出てきた荘司は、ひととおり恨み言を女御に述べただけで、最後に、あなたを見守ると言って消える。
おのうの主人公にしては、潔すぎて、逆にこちらが驚く。
もっと嘆いたり泣いたり恨んだりしなくて、いいんですか?と。
でもそれは、自分の中にあるのではないか、とも思う。
みんなが、生きている間、足りない、寂しい、と思うことなく、幸せになって欲しいと願う。
でも生きている間やっぱりそれが難しくて、鬼のようになってしまったら、荘司のように死後、こうして誰かに少しの温かみを残せるような、そういうことを考えられる人間で、ありたいとも思う。