江口、遊女という職業そして菩薩_1
水曜日は、レディースデー。
映画館の割引の話だが、働き出してここ10年位さっぱり忘れていた。
なぜ女性だけ割引なのだろう、と思ってちらと調べてみると「女性の口コミの力」を見込んで始まったことらしい。
セールに敏感なのも女性。だから何らかの割引などで来てもらい、良かったと友人知人に口コミしてもらう。またお客さんを連れて来る、あるいはその影響で来てくれる人を増やす、という目的。
SNSなどなかった時代から、女性の口コミの力というのは経済に影響していた。
たしかに自分も良かった映画などを友人に薦めている上に連れ立ってまた行ったりするので、事実。
そこには、いいものをみんなで分かち合いたいという気持ちが働いているようにも思う。
さてレディースデーは利用するが、「レディース」という言葉にほんのすこし引っかかる女性は私だけではないと思う。
いまの時代、性別にかんすることは、とても難しい。
小さな言葉にさまざまな感情が引き起こされて、いったい何に悲しんだり怒ったりしているのかわからなくなる。
そうなったら、複雑になった現代ではなくて昔はどうだったのだろう、と考えてみる。
私はなるべく性別によらず平らかでありたい、と願うけれどうまくできないことが多いただの人間です。
おのうに「江口(えぐち)」という曲がある。
大阪の神崎川と淀川が交差する辺りに江口という地があり、神崎と並んで数多の遊女が住まうところだった。
そこには有名な、江口の君という遊女がいた。これは彼女が主人公の曲。
かつて西行が旅の途中江口で一夜の宿を乞うた。
しかし、江口の君は宿を断る。理由は、出家の方がこんなところに心を残したりしてはいけないと思ったから。
その時のことは、歌人である西行と江口の君がやりとりした歌で知られる。
「江口」では、歌も対応も何もかも、西行やワキ僧より、どう考えても江口の君の方が賢く描かれている。
西行のことを突き放すでもなく、やんわりと歌で諭し、なおかつそれは西行の立場を思ってのこと。
江口の君は非常に教養があったことがうかがい知れる。
遊女とひとくちに言うと、そもそも江戸時代の、吉原など遊郭に囲われている遊女をイメージすることが多いと思うが、それは違うようだ。
以下は、網野善彦氏の研究されてきたこと。
およそ南北朝の動乱で後醍醐天皇が敗れ天皇家のちからが落ち込み始めるまで、遊女は、天皇家に出入りする身分だった。
江口・神崎の遊女は、例えば宮中行事の「五節の舞」で舞う貴族の女子のお手伝いで呼ばれたりする立場だった。後宮に公然と出入りしていたらしい。
宮中に遊女が出入りし、あるいは遊女が天皇家の子を産んでも、何も問題ない状況だった。天皇家に出入りするということは、遊女は教養もあり文字も書けたし歌も詠めた。
なぜそうだったか。
遊女は性的なちからや技を生業とする「聖なるものに属する人」と考えられていたからではないか、と網野氏は言う。
およそ死や穢れといった「畏れ」に触れるあらゆる職業は、もともと「聖なるもの」「聖なるちから」に触れる仕事であった。
死や穢れは忌み嫌われるものではなかったのに、それを背後で支えていた天皇家のちからが衰退する。
そこから、彼らの身分は転落していってしまう。