江口、遊女という職業そして菩薩_2
(1の続き)
それまで芸能民などの死や神仏や生殖にかかわる「聖なるちから」に通ずる技を持った職業人には称号が与えられ、天皇や神の直属民として特権を保証されていた。
当時の遊女も芸能者であり、また性の技術も合わせ持っていた。
それまでの天皇はそういった古代からの原始的なちからを背景に成り立っていた。
2008年に公開された映画「おくりびと」は納棺師の仕事に就いた主人公の話で、現代の「死に触れる職業」だが、妻役の広末さんが死体を触った手で触れるな、汚らわしいと瞬発的に嫌悪する場面が印象的だった。
死や生殖や神仏のちからは、小さな人間には計り知れなくて恐ろしい。その感情はもちろん古代からあった。けれども時は移り、人は「聖なるちから」を畏れた。
そして遊女の身分も落ちていき、賤視差別にあい、やがては江戸時代の遊郭、人身売買のような傾城システムが誕生する。
もちろん遊郭も人間がやっていることなので、人間模様もあり、一種の文化と言えるような発展もあり、そこに生きる女性の心もさまざまにあった。いまはそういうことを差し置いたシステムの話。
その延長が、現代の風俗になっている可能性は高い。
「レディースの街」江口に仏教の僧侶である西行が乗りこんでいくのも、ひとつの暗喩、陰の対決を思わせる。
仏教では、女性は成仏できないことになっていた。女性は毎月「月のもの」があり、穢れがあるとされたからだ。
女性の「月のもの」が「穢れ」だという認識も、遊女の身分が落ちていったのと同じ理由で作られたと網野氏は考察している。
月のものは誰も意図せず勝手に女性の体に起こる。生殖のちからもやはり人智を越えた畏怖の感情に通ずる。それで穢れとなったが、もともとは「聖なるもの」だった。
仏教のそもそもは、ブッダが煩悩を消して悟りを開いたのであり…その煩悩を作るのは女性によることが多いのであり…そうすると仏教の修業からは自然女性は避けられることになる。
反面、日本では女人救済をうたう鎌倉仏教の祖師たちも出てくる。
しかしすでに「穢れ」を持つと見なされ始めた女性たちがその立場を社会的に払拭することは難しかっただろう。 あえて女人救済などとうたわれては尚更、穢れは穢れのまま残る。
ましてや遊女は男性の欲望をかき立てる存在であり、仏教で地獄に落ちるとされてもおかしくはない。
レディースの長、江口の君は、西行の宿泊を断ることで、まるで仏教をお断りしているようにも思える。
後半、江口の君は遊女仲間たちと船遊びに興ずる。ワキ僧は、江口の君は昔死んだはずだと道理を言う。
江口の君は、そんなことはどうでもいいこと、舟歌を歌って遊びましょう、と言ったまま、白象に乗る普賢菩薩となって西の空へ去って行く。
懺悔も、何もなく優雅に。もともと普賢菩薩そのものであったというように。
仏教の修業で悟りを得るには女性はいない方がいい、というのは完全に男性目線の勝手な筋立てではある。
けれど逆に悟らなければならなかったのは、男性だけだったのではないかとも考えられる(これは仏教に反対しているわけではない)。
女性は、すでにその体に「聖なるちから」を秘めている。だから悟りも必要ない。
特に遊女という職業の江口の君はもともと菩薩だったのだ、と。
聖と俗は、相反するふたつなのではなく、表の顔と裏の顔というだけで、きっと同じものなのだろう。
語られてきた歴史の表舞台は、結局仏教のように、「男性性が」必要としたために作って来たのだとしたら。
「女性性」はそこに隷属する必要もないのだろうし、もとより属していないのだろう。
いま農業を始めたり地方へ移転する人が増え、周りにもそういった希望を話す友人などがいて、なんとなく前向きな気持ちになる。
それらはこんがらがった社会の仕組みから抜け出てもう一度、生きる土台である土に触れようとする動きのように見える。
そしてそれはもしかしたら、男性性の社会から抜け出て、女性性に少し触れようとする行動なのかも知れないとも思う。
「遊」の字は、漢文学者の白川静氏によると、霊の込められた旗を持って自分のエリアから移動するという意味があるそうだ。
霊は古代では祖先たちの霊、祖霊であり、神々のこと。神と共に自由に動くことを「遊ぶ」という。
当時、遊女は船などで自由に移動していたという。その身には神仏を宿していただろう。