儀式と共振について
友人が結婚した。大学時代からの親しい友だちだった。
と言ってももうよく考えたら私たちはアラフォーに手が届くような年齢で(35歳)、もう世間一般で言ういわゆるおばさん世代に突入していくらしいのだと、
言葉で思っても、自分自身は中学高校生あたりから変わっていない部分がある。
結婚する彼女も、大学時代から変わっていないように思う。
その変わらない部分は、自分の核、コアというような、けれどもそんなに言葉にできるほど確固としたものでもなく。
それは何なのだろう、とずっと思っていた。
友人の結婚式は、軽井沢の教会で行われた。
教会の扉が開き、真っ白なドレスを着たまっさらな彼女がゆっくりと正面へ進んでいく。
最初、やはりいつも会うと馬鹿話をしているのでかしこまっている姿がおもしろく映り隣の友人と笑い目で見あったりしていた。
けれど後ろ姿になり彼女の表情が見えなくなると、不意に「あ、お嫁に行ってしまう」と強く思った。
どこか遠くに行くような、もう手が届かない場所に行ってしまうような。
言葉と感慨で不意に出てきたので、困ってしまい、涙ぐむしかなかった。
人間の長い歴史のなかで、お姉さんがお嫁に行ってしまう、という感慨を抱いた弟妹たちや、近所の子どもたちと、その時私はまったく同じ気持ちだったと思う。
今までの○○ちゃんではなくなってしまうのだろうか。
そういうわけではない、と思い直す。けれどおそらく、彼女は今までと全く違う彼女だけの一歩を踏んだ。
その象徴が、教会で進む、右、左、右、のゆっくりと確かな歩みだった。
いや、彼女が努力し踏み続けてきた、その何歩目があの日の歩みだったのかはわからない。
人生が、変わらず続くことを無意識に求めている。
それは私にとっていつのまにか安定して継続する会社に所属することでもあっただろう。
けれどこの怒涛のように何もかもが流れていく世界に居て、残念ながら変わらないことは叶わない。むしろ叶わなくてよかったと思う。
手を変え品を変え、人生を少しずつ変えながら、生き抜いていく。
道から外れ、草に隠れた土の上を踏んで行く。
そうして道を逸れて初めて見えてきた景色が、予想だにできなかった事々が、いつしか求めていた「しあはせ」というようなことに一番近いのではないかといまは思う。
しあわせ、の字づらはちょっとべったりとしていて、他人に寄り掛かっているようで今ひとつ使いづらい。
しあはせ、なら、かすかだが確かに胸にうずく希望というようなことを言い表してくれる気がする。
しあはせ。それは欠けた部分を補うものであり、今までに自分の中に存在しなかったものだったりする。
結婚式は、やはり儀式であり、日常とはちがう場所だった。
そこはお能とも通ずる。
儀式とは日常では使い得ない「共振する感覚を得られる場」である、と以前著名な僧であるSさんから聞いた。
共振とは、簡単に言うと気持ちや感覚を共有してしまう現象。
人は共振できるのか、と驚いた。他人と自分とのあいだに目に見えない通路があるなんて、と。
けれど東日本大震災で悲しみに暮れたのは、現地の人は言うまでもなく、遠く離れた日本全土の人々であった。
私自身も3年程、重い気持ちを引きずった。
そしてたしかにあの日教会で私は、お嫁に行ってしまう友人に涙した。それは本当に、過去の結婚式の日に子どもたちが抱いたのと同じ気持ちだったのだとしたら。
過去と共振していた。
そういうふうに考えてみれば、私はいつも能楽堂でお能を観ながら、過去の人々…はるか過去の能楽師や観客や、お能を観て様々なことを感じ考えていた人々と「共振」しているのかもしれない、いまも。
そして私の核のようなコアのような、ぼんやりと変わらないそれは、能楽堂で初めて能を観たあの日の私であり、過去の私とも「共振」しているのかもしれない。
そう、だから私はまた、能楽堂へ行きたいと、切に思うのだろう。