ノーノーノーライフ(No Noh,No Life)

能狂言のこと、伝統芸能のこと、観劇レポートなどをかきます。15歳ころ能楽に出逢う。多摩美術大学芸術学科卒。12年間伝統芸能の専用劇場に勤務。スペースオフィスというユニットで能狂言グッズなど作っています。Twitter@ofispace

踏む_1

散歩がうれしい季節になった。葉がしげり、樹々のすきまに太陽の光が輝いていて、泣きそうになる。

散歩している犬たちの足どりは、いろいろなオノマトペを想像するくらいに、実にかろやかで、見ているこちらもうれしくなった。

 

いま住んでいる借家の、門戸から玄関までの一瞬の小道を通る途中、踏んだ左足の脇でカサッと何か小さなかたまりが動いた。

急にわさわさとしげり始めた道の脇の、苔と雑草の森の中にそれはすっと消える。

蛙だろうか。サイズは雨蛙くらい。

ふた月ほど前、急に暖まった雨の夜に、大きなガマガエルが小道に出てきて動かない。

他の住民に踏まれないように、コンクリートの上から苔場へ、傘で傷つけないように押して彼を移動させた(つかむ勇気はなかった)。

ガマガエルはほんとうにめんどうそうにしていたが、そのうち諦めて、私の傘押しにしたがい、しぶしぶ苔の中へ消えていった。

でも今日は快晴で、カラカラに乾いている道へ雨蛙が出てくるとも思えない。

踏まなくてよかったと思っておく。

 

一度、踏むということに恐怖したことがあった。冬、同じく玄関までの小道で、それは起こった。

その15歩くらいで終わる玄関までの小道は、短いゆえにか、大家さんが忘れているのか、明かりがひとつもなく、夜はまっくらでほとんど何も見えない。

いつもの道なので気にせず進む。

と、10歩目あたりで右足裏が、何かを踏んだ。

ぎゃっと叫び即足を上げた。目の端に、何かがさっと私の前を横切ったのが見えた。

右足が、その一瞬で靴の裏越しに伝えてきた情報は、「フカっとした」「毛の生えた」「小さい」「丸い」「生きもの」だった。間違いない。そして、幸い踏みつぶす前にとっさに足を上げたことも。

目からの情報は、黒いことしかわからなかったし、それもまわりが暗いので実際どうなのか不明だった。

ネズミか小動物だと思いたかったが、どう思い出してみても「丸い」という情報がそれを納得させず、うやむやのまま考えるのをやめた。

そうしてそれ以来、まっくらでも何かいるかどうか確認しながら小道を進むようになったため、あのガマガエルも踏まずに済んだ。

 

 

 

おのう(能楽)の舞では、舞い手が必ず足を「踏む」。

 

まず、おのうの舞は、踊り、ではない。これが舞なのかと不思議に思うほど、舞い手はあまり動かない。 踊りを想像していれば、なおさらだ。

一説には、舞は囃子方(はやしかた)など周りの影響によって動く、つまり主には他力で動くが、踊りは自身のエネルギーによって舞い手が動く、つまり自力だという。 

おのうの舞は、囃子方によって進むと言っていい。 

息の合った囃子に乗り、ゆったりと自然にシテが舞う時は、時空が変化することがままある。

 

その舞の途中で、舞い手は足を踏む。

袖をひるがえしたり、舞い手がくるりと回るのは、誰しも美しいと思えるだろう。

しかし、どん、と力強く片足を踏み降ろすのはいったい何なのか。 

当然、能舞台で舞は舞われるのだが、その足を踏む音が良く響くようにと、大きな甕が舞台の下の見えない所に埋められていることもあったそうだ。

能舞台の地下建造にまで影響を及ぼすほど重大な足踏み。

 

 

 

縄文時代の村落の調査では、村の中央に死者を埋めた墓地が存在し、それを囲むようにして住居があったことが遺跡などから知られる。

死を中心にして、村の人々の生があった。

昼間、中央には誰も近寄らなかったが、夜になると村人たちは、死者を埋めた中央に集まり、踊り始める。まつりの原初だ。

詳細は明らかではないようだが、太鼓などの原始的な楽器をともにし、土を力強く踏みつけて踊ったのではないかと言われている。

 

土を踏み、土に眠る死者を呼び起こし、死者と共に夜明けまで踊り明かす。

そこでは、生と死は一体だった。

死は、生のすべての終わりを指すのではなく、生と地続きにつながっていて、繰り返されるもの。

死者を引き起こすために、「踏む」行為は重要な要素だった。

 

 (2に続く)