2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧
(2の続き) おそらく後場の御息所は、アイデンティティも人間の心も失って登場する。 それは御息所だろうか。それとも違う人なのか。 女性は変化する。それは、もとよりそういう性質を持っていたということだろうか。 御息所を呼び出した巫女。古来より神…
(1の続き) どうして女性ばかりが変化してしまうのか。 その前に、般若の面相に変わってしまう要因とはなんだろう。 怒りの感情であろうと思っていた。「鬼のようだ」と形容するとき、それは般若の顔に近い怒りの形相を指す。 おのうに話を移す。 変化した…
鬼をはじめて観たのはおのうの「道成寺」だった。 落ちた鐘の中から、のそっと出てきた清姫は、口が裂けツノが生えた恐ろしい面に変わっていた。 その次に鬼を知ったのは、本の中だった。 梨木香歩さんの著書『からくりからくさ』に、その鬼は出てきた。 平…
(1の続き) それまで芸能民などの死や神仏や生殖にかかわる「聖なるちから」に通ずる技を持った職業人には称号が与えられ、天皇や神の直属民として特権を保証されていた。 当時の遊女も芸能者であり、また性の技術も合わせ持っていた。 それまでの天皇はそ…
水曜日は、レディースデー。 映画館の割引の話だが、働き出してここ10年位さっぱり忘れていた。 なぜ女性だけ割引なのだろう、と思ってちらと調べてみると「女性の口コミの力」を見込んで始まったことらしい。 セールに敏感なのも女性。だから何らかの割引な…
文化的な衝撃を受けた。 映画「バーフバリ王の帰還(2)」を見た約2時間、いろいろあったので書き残すことにした。 まず文化的な衝撃を食らった、というのは構成が何もかも知っている映画とは違ったからだ。いままで知っている「映画」とは欧米文化であっ…
4月27日、金曜の夜おのうの公演に行った。 宝生能楽堂なので水道橋駅から小走りで3分程度、ぎりぎりに到着する。客席に入ると正面席はほぼ満員。友人が取ってくれていた脇正面席に収まる。 この「夜能(やのう)」は今年1月から始まった企画公演らしい。 …
さる4月の21・22日、宝生能楽堂weekendMUSEUM(サブタイトルは、歴史に浸るひととき)に参加した。 内容は、能面・能装束・中啓(ちゅうけい、扇)の展示、宝生和英宗家の講座。 また、楽屋から鏡の間、能舞台上まで案内してくれるバックヤードツアーも参加…
(1の続き) 顔が隠れることによって、違う裏の顔が出てくる。 本来の顔を隠す女性の化粧について、以下は妄想及び想像。 高貴な女性たちの習慣であった白塗り、お歯黒、眉書き…これらは本来の自分の顔を消す。 そうして、一種の「貴族アイコン」とも言える…
面と書いて、おのうでは「おもて」と読む。仮面とは言わない。 表裏の、おもて、は基本語尾が上がるが、面の、おもて、は語尾が下がる。 面をつける、ではなく「かける」と言う。 つける、は、面を、もの扱いしている。だから違う。そういうことだと思う。 …
ずいぶん昼寝した。夢を見たが覚えていない。 おのうも眠い。眠いといえば、おのう。 おのうを観ながら寝てしまった、と苦笑いしながら報告する人は多い。 大丈夫、私もよく船漕いでる、と返していた。 眠くなるのは、仕方ない。謡の抑揚と、囃子のリズムが…
(1からの続き) 土蜘蛛の精は、頼光の家来たちと戦う時に、能舞台で蜘蛛の糸をまく。 この蜘蛛の糸は紙でできており、当たり前だが手作りで、シテがふわりと投げると、とても美しく弧を描いてさあっと開き、落ちる。 虫の方の蜘蛛の糸は、家の内では古い象…
洗濯物を干していたら、欄干の角に、小さな蜘蛛がうすく巣を作って留まっていた。 顔を近づけるが、赤茶色の本人はすまして知らんぷりしている。 うーん、と一瞬悩んだが、洗濯物が干せなくなるのも困るので、適当な紙を持ってきて、すくうようにして巣をは…
なんというか、恋愛というのがうまくいかない同級が多い。 みな、興味があるし、寂しいし、今後を考えても、ひとりじゃあねえ、と言う。 おひとりさまになる覚悟をしている人は、この30代の世代、ひとりもいない。 でも現状、なかなか相手に巡り会えない。自…
先日、友人のお誘い(正確には友人のお父さんのお誘い。ありがとうございました)で「INNOVATION OPERA ストゥーパ〜新卒塔婆小町〜」に出かけた。 晴れて気持ちのよい上野の、東京文化会館大ホール。 指揮者の西本智実氏が、芸術監督、指揮、脚本、作曲補と…
京都に住んでいたことがある。仕事の異動の関係で、初めて関西に移り住んだ。 京都は美術品が多い、それもふらっと入った思わぬ寺や期間限定の特別公開で発見するので、大学生の頃からたびたび旅行していた。 見ると住むでは大違い…とはよく言うが、そんなに…
(1からの続き) 「善知鳥」の猟師は、善知鳥のおかげで生きていたにもかかわらず、生前あまり鳥に感謝しなかったようだ。 というのも既に、とっくに神話は忘れ去られ、人間の都合主義に陥っていた。あるいは、それは個人に依るかもしれないが、全体として…
善知鳥と書いて、うとう、と読む。 親が「うとう」と鳴くと、子が「やすかた」と答えたという鳥だ。 そんな鳥が実際いるかというと、海鳥にウトウがいる。 鳴き声は、昔の人の豊かな想像力でそう聞こえたのか。 その呼び合いゆえ親子の絆が強い鳥とされ、和…
大学生の時、翁(おきな)とカミサマのことばかり考えていた気がする。 卒論は翁のことにして、大学4年の10月、奈良豆比古神社の三人翁を見に行った。 古い翁の形態を残すと言われていて、白いふくふくと笑った翁が通常1人なのに3人も出てくるなんて、と…
(2の続き) 毒蛇となった清姫は、道成寺で安珍を探し、這いずり回る。 とうとう清姫は下ろされた鐘に気づき、鐘に七巻き巻きつくと、炎を出した。 安珍と鐘、そして蛇となった清姫自身もともに燃え尽きる。 心は、すべてを支配し人を変化させることができ…
(3の続き) とある安珍滞在の夜。清姫は、彼の眠る閨(ねや=寝屋、寝室)に入りこむ。 そして、いつまで私を放置するの、早く迎えに来てよ、と安珍をなじった。 安珍はたまげて、逃げ出す。 ここで、世の大半の女性が安珍に対し怒りを覚えるかも知れない…
中学2年か3年の時、初めておのう(能楽)を観た。 誰の、何の会だったのかは残念ながら全く思い出せない。 記憶が曖昧なくせに、なぜ時期を断定できるかというと、友人のMに誘われたからだ。 私はその頃まわりの子とほとんどこみいった話はしなかったが、…
考えてみれば、何もない所で「踏む」行為を動物はしない。動物が踏むのは、獲物を殺す時だろう。 立ち上がり二足歩行になり、足と脳が直通したことも、人間の踏む行為と関係がある気がするのだが、脳科学の分野は蚊帳の外なので言及のみにする。 食べるため…
散歩がうれしい季節になった。葉がしげり、樹々のすきまに太陽の光が輝いていて、泣きそうになる。 散歩している犬たちの足どりは、いろいろなオノマトペを想像するくらいに、実にかろやかで、見ているこちらもうれしくなった。 いま住んでいる借家の、門戸…
友人と2人で、石巻を訪れたことがあった。あの日からは4年半が経過していた。 震災の直後、被災地を訪問する人がいたが、私はとんでもなかった。 体力もなくヘタレで現地の困っている人の役に立てない。だがそれは表面上の理由で、未曾有の、と言われるそ…
あの日から、7年が経っている。 あの日と言われたら、日本在住である程度の年齢の人は、3.11とわかっている。 地震と津波のあの日から3年の間、私はある意味フリーズしたまま、祈ることしかできなかった。 様々な「ありえないはず」が起き、人はいとも簡単…
港(コウ)は、考(コウ)でもある。 満ちたり、引いたりする場所。 船と波と海。 私のエゴと出来事と無意識。 昼は航行して少し出かけられたら喜びだし、夜は淡く煌々と光って少しの役に立てるとなおいい。 おもに能楽のこと。満ちてきた考えについて、記そ…