葵上、六条御息所の鬼_2
(1の続き)
どうして女性ばかりが変化してしまうのか。
その前に、般若の面相に変わってしまう要因とはなんだろう。
怒りの感情であろうと思っていた。「鬼のようだ」と形容するとき、それは般若の顔に近い怒りの形相を指す。
おのうに話を移す。
変化した女性で有名な『源氏物語』の六条御息所(ろくじょうのみやすどころ、みやすんどころとも)。
おのうでは「葵上(あおいのうえ)」というタイトルながら、シテ(主人公)で登場する。
なぜタイトルが六条御息所でなかったか。彼女が変化してもはや御息所としてのアイデンティティを失っていたからではないか、とも思う。
ちなみに御息所とは、天皇や東宮(とうぐう、皇太子)の妃、女御、更衣(こうい)のことを言う。もともと天皇の休息所、それが女性の立場を表す名称になった。六条御息所の六条は、京都の六条に住まいするという意味で、六条御息所は東宮だった夫に先立たれ町で暮らしていた。
そして若き光源氏との恋愛。
しかし光君は年下。六条御息所は彼にのめり込んでいくが、年上のプライドから素直になれず、彼の愛を失う。
ひとつ彼女が忘れられない事件があった。「車争い」。
賀茂祭の日、六条御息所は正装した光君を一目見たいと牛車に乗って出掛ける。
大勢の牛車ギャラリーが光君を見ようとしていた。そこで六条御息所の車を見つけた正妻葵上の車が、わざとぶつけてきたのだ。
御息所は公衆の面前で車を壊される。これも御息所のプライドを大きく傷つけた。
プライドとは、誇り、自尊心とある。自分を尊ぶ心。
自分が自分であること、その素直な喜び。またそれを維持するため、傷つけられないように守る働きもするだろう。
だとすると傷つけられそうになる、あるいは傷つけられたとき自尊心はどう動くのか。
葵上のお産が始まった時、物の怪が葵上の元にやって来て苦しめる。葵上は命が危うい状態になる。
僧の祈祷も役に立たず、とうとう巫女が物の怪の呼び寄せに成功する。
物の怪は六条御息所の生霊だった。破れ車に乗って出て来てぶつぶつと独り言を言う。
東宮である夫が生きていた頃は、風流で贅沢華やかな生活だったこと。いま自分は衰え果てて日に当たるとしおれる朝顔の花のよう。その境遇に、辛い恨めしいと思う心が出てきたこと。
そして葵上に矛先が移る。人に辛く当たればその報いがあるのだ、思い知るがいいと言う。
葵上は正妻で、光君の子をいままさに産もうとしている。彼女の立場は変わることはないだろう。いっぽう私は彼の愛情も失い他人同様。こんなに辛い。
ああそうだ、この破れ車に葵上を乗せて連れて行ってしまおう。
そうして御息所は橋掛りへ消え、次に登場する時は、般若の面をかけている。