面_2
(1の続き)
顔が隠れることによって、違う裏の顔が出てくる。
本来の顔を隠す女性の化粧について、以下は妄想及び想像。
高貴な女性たちの習慣であった白塗り、お歯黒、眉書き…これらは本来の自分の顔を消す。
そうして、一種の「貴族アイコン」とも言えるような、別の顔になる。
(昨晩放送された高畑勲監督のアニメーション映画「かぐや姫」では、化粧は、個を消すものであった。まるで人形のよう、「私」がいてもいなくても同じ、その象徴。)
もともと化粧は、儀式などで用いられていたと思うが、お守りの類でもあったのではないかと思う。
化粧をすることで、1枚ヴェールをまとうように、自分自身を危険な世界にさらさなくて済む。
あるいは、女性は子どもを産めるため魔力が強いとされていたから、そのちからを不用意に出さないように、封じの意味もあったのかもしれない。
そのうち、おそらく女性がおしろいをしている方がいい、俗っぽい理由(結婚に有利だとか、美しいとか、百難を隠すとか)が通説となり、貴族社会の象徴となり。
やがて「女子」という枠にはめ込まれる、呪いともなった。
いま、現代の女子が化粧をして外出するときの顔は、いったい、裏の、誰の顔だろう。
歴史家の網野善彦氏の著書の中に、「扇の骨の間から見る」というトピックがある。
網野氏は絵巻で歴史研究をされていた方だ。
ここでは、誰かの死や処刑や芸、そういったもの、つまり穢れを見る時に、扇で顔を隠している男性が絵巻によく描かれており、そのしぐさの意味するところを考察されている。
網野氏の結論を言うと、扇は、外から悪霊や穢れが自らに及ぶのを防ぐとともに、内から発するそれをも防いだ道具であった。
つまり、扇で顔を隠して見ることで、一時的に別世界の存在となり得たのではないか、としている。
扇の呪力については後日触れたい。
顔を扇で隠して見る行為、それは扇によって、一種の「バリア機能」とでも言うような状態が発生していた、とは考えられないだろうか。
自分自身の最たる象徴である顔。それを扇で隠すと、扇の呪力によりバリア空間が出現し、自分の身を守ってくれる。
それは化粧の、1枚ヴェールを被る感覚ともきっと近い。
あるいは、自分の中の危険なちからを、外に出さない、封じともなった。つまり、生身の、カバーの何もないむき出しの自分が出てしまう危険から守っていた。
それらの機能が凝縮しているのが、機能的な能面、おのうの面かもしれないと思う。
着物と面により、能楽師は別世界の存在となる。
そこで、しかし逆に、内なる危険な自分が出てこないように、抑えもしている、と。
世界と、自分との間に降りてくる、1枚の幕。
それはおのうで言うシテの、着物と面で作られる。
またあるいは、鏡の間と、能舞台へ続く橋掛りの間に降りている、五色幕でもあるかもしれない。