ノーノーノーライフ(No Noh,No Life)

能狂言のこと、伝統芸能のこと、観劇レポートなどをかきます。15歳ころ能楽に出逢う。多摩美術大学芸術学科卒。12年間伝統芸能の専用劇場に勤務。スペースオフィスというユニットで能狂言グッズなど作っています。Twitter@ofispace

3.11と能楽について

あの日から、7年が経っている。

あの日と言われたら、日本在住である程度の年齢の人は、3.11とわかっている。

地震津波のあの日から3年の間、私はある意味フリーズしたまま、祈ることしかできなかった。

 

様々な「ありえないはず」が起き、人はいとも簡単に死ぬと、頭でわかってはいても、それを本気で自然界から突きつけられてみれば、ただただどうしたらいいのか、わからなかった。

 

死ぬのは怖いし、いつ死んでもいいように生きている、と思っていた自分は、ただの茶番を演じていただけだったと知った。

都会のビル群は、急激に、ぺらっぺらのうすいものにしか見えなくなった。

世界は、いちめん灰色だった、そしてぐにゃぐにゃしていた。

表面的には、仕事をしてふつうに生活してはいたものの、こころはフリーズしたままだった。

 

そのころずっと観続けていたのは、おのう(能楽)だった。

半ば偶然与えられた仕事だったが、おのうを観ている間は、生きることを横に置いておくことができた。

そのことは、いまも本当にありがたいと思う。

 

おのうに出てくる主人公(シテという)は、ほぼ、

死んでいるか、

精霊か、

怨霊か、

生きながら鬼になった人か、

あまりにも悲しいことがあって気が狂ってしまった人、たちだ。

それから、いわゆるカミサマたち。

 

おのうの根底には、死が流れてある。

そしてずっと観続けているうち、ああ、これは弔いなのだ、とフリーズしたこころがつぶやき、泣いた。

 

死んだ人がどんどん出てきては、悲しみ、嘆き、文句を言い、オレが死んだ時の戦はと再現して見せたり、引き続きすごく恨んだり、かつての恋人の衣装をまだ着てみては泣き。

 

舞を舞い、くるくるとまわる。

 

もう死んだ人たちの、生き生きとしたカオス。

 

おのうの舞台、いわゆる能舞台は、この世でもなくあの世でもない場所だった。中空の、特別な空間に、死んだ人たちは出てきてあれやこれやつぶやく。

そしてまた、成仏したりしなかったり調伏されたりして、あちらの世界へ帰っていく。

おのうは、生きることに、ひとつも目を向けてなどいなかった。なのに、それは逆に、生きるということを突きつけた。 

 

人間はちいさくて、ちいさくて、どうしようもない。

人間だが私は人間が嫌いで、だからこそおのうに興味を持ったのだけれど、弔うという祈りの行為は、おそらく人間しか、しない。

弔いは、自然界から離れて生き不自然になった人間に与えられた、最後の技なのかもしれない。

 

この土地に生き、おのうを作り観てきた、すべての人たちが急に、とても身近に感じられた。 

まだ、もしかしたらここで、生きてみてもいいのかもしれないと言われた気がした。