3.11と能楽について
あの日から、7年が経っている。
あの日と言われたら、日本在住である程度の年齢の人は、3.11とわかっている。
地震と津波のあの日から3年の間、私はある意味フリーズしたまま、祈ることしかできなかった。
様々な「ありえないはず」が起き、人はいとも簡単に死ぬと、頭でわかってはいても、それを本気で自然界から突きつけられてみれば、ただただどうしたらいいのか、わからなかった。
死ぬのは怖いし、いつ死んでもいいように生きている、と思っていた自分は、ただの茶番を演じていただけだったと知った。
都会のビル群は、急激に、ぺらっぺらのうすいものにしか見えなくなった。
世界は、いちめん灰色だった、そしてぐにゃぐにゃしていた。
表面的には、仕事をしてふつうに生活してはいたものの、こころはフリーズしたままだった。
そのころずっと観続けていたのは、おのう(能楽)だった。
半ば偶然与えられた仕事だったが、おのうを観ている間は、生きることを横に置いておくことができた。
そのことは、いまも本当にありがたいと思う。
おのうに出てくる主人公(シテという)は、ほぼ、
死んでいるか、
精霊か、
怨霊か、
生きながら鬼になった人か、
あまりにも悲しいことがあって気が狂ってしまった人、たちだ。
それから、いわゆるカミサマたち。
おのうの根底には、死が流れてある。
そしてずっと観続けているうち、ああ、これは弔いなのだ、とフリーズしたこころがつぶやき、泣いた。
死んだ人がどんどん出てきては、悲しみ、嘆き、文句を言い、オレが死んだ時の戦はと再現して見せたり、引き続きすごく恨んだり、かつての恋人の衣装をまだ着てみては泣き。
舞を舞い、くるくるとまわる。
もう死んだ人たちの、生き生きとしたカオス。
おのうの舞台、いわゆる能舞台は、この世でもなくあの世でもない場所だった。中空の、特別な空間に、死んだ人たちは出てきてあれやこれやつぶやく。
そしてまた、成仏したりしなかったり調伏されたりして、あちらの世界へ帰っていく。
おのうは、生きることに、ひとつも目を向けてなどいなかった。なのに、それは逆に、生きるということを突きつけた。
人間はちいさくて、ちいさくて、どうしようもない。
人間だが私は人間が嫌いで、だからこそおのうに興味を持ったのだけれど、弔うという祈りの行為は、おそらく人間しか、しない。
弔いは、自然界から離れて生き不自然になった人間に与えられた、最後の技なのかもしれない。
この土地に生き、おのうを作り観てきた、すべての人たちが急に、とても身近に感じられた。
まだ、もしかしたらここで、生きてみてもいいのかもしれないと言われた気がした。