ノーノーノーライフ(No Noh,No Life)

能狂言のこと、伝統芸能のこと、観劇レポートなどをかきます。15歳ころ能楽に出逢う。多摩美術大学芸術学科卒。12年間伝統芸能の専用劇場に勤務。スペースオフィスというユニットで能狂言グッズなど作っています。Twitter@ofispace

眠る

ずいぶん昼寝した。夢を見たが覚えていない。

おのうも眠い。眠いといえば、おのう。

おのうを観ながら寝てしまった、と苦笑いしながら報告する人は多い。

大丈夫、私もよく船漕いでる、と返していた。

眠くなるのは、仕方ない。謡の抑揚と、囃子のリズムが、心地よくて仕方ない。

 

脳には、脳波というのが出ているらしい。

よくわからないが、お世話になっている整体師さんから、脳波だけでなく、人間の体も一種の電流が流れて成っているという話を聞いた。

原子レベルで、震えている、それが電流ということになるらしい。人間の生きる秘密みたいなもの。

脳は活動が複雑だから、特に西洋医学で脳波として認識されているのだろうか。

その、原子の振動の電流、というイメージが浮かんでから、おのうのリズムが、どうも原子レベルで体に合うリズムなのではないか、と思うようになった。

 

赤ちゃんを眠らせるとき、子守唄を歌い、揺すったりして、気持ちいい状態にしてあげることが多いと思う。

それと同じ状態にしてあげるのが、たぶんおのうの音。

もうずっと忘れていた、子守唄に近いのだと思う。

体は覚えていて、眠くなる。記憶は曖昧になって、夢か現(うつつ)かのところをさまよう。

 

爆睡してしまうと、もちろん能舞台のなにひとつ、登場人物すら見ずに終わる。

そうでなく、寝ても、ちょっと起きる、という状態を繰り返すのが大事だ。

そうすると、さっきと同じ場面が、まだ能舞台に展開している。

あれ、と思って、また寝る。起きて見上げる。まだ同じ場面。あれ。また、また…

そうして、時間はわからなくなる。

おのうには嘆きの場面や懺悔の場面など、シテがほとんど動かずに語るところも多い。

そういう場面と寝て起きるが重なって、どんどん実は引き込まれていく。

寝ていたのか、起きていたのか、ここはどこなのか、わからない。

それもおのうの醍醐味だと私は思う。

 

その日の体調によっても違うので、定期的に見ていると、自分があまりに寝てしまい疲れすぎだとか、今日はリラックスして観れたとか。

謡や囃子は、脳波をα波にする調子だと聞いたことがある。

でも波にも、α、β(ベータ)、θ(シータ)、と色々あって、リラックスレベルは高くなるらしい。

 

おのうの謡と囃子が、いったいどの波を出しているのか、気になるところである。