ノーノーノーライフ(No Noh,No Life)

能狂言のこと、伝統芸能のこと、観劇レポートなどをかきます。15歳ころ能楽に出逢う。多摩美術大学芸術学科卒。12年間伝統芸能の専用劇場に勤務。スペースオフィスというユニットで能狂言グッズなど作っています。Twitter@ofispace

善知鳥、赦されない猟師_1

善知鳥と書いて、うとう、と読む。

親が「うとう」と鳴くと、子が「やすかた」と答えたという鳥だ。

そんな鳥が実際いるかというと、海鳥にウトウがいる。

鳴き声は、昔の人の豊かな想像力でそう聞こえたのか。

その呼び合いゆえ親子の絆が強い鳥とされ、和歌などでも使われた。

 

おのうの「善知鳥」という曲は、うとうやすかたの習性を利用して居場所をつきとめ、子鳥たちを狩りに狩ってしまった猟師の懺悔がメインだ。

仏教は殺生を禁じている。そのため、僧侶は肉魚を食べないことになっている。いまで言うベジタリアンヴィーガンだ。

殺生した者は成仏などもってのほか。地獄に堕ちる。

職業で仕方ないこととは言え、動物を大量にあやめてきた猟師の罪は、深かった。

殺生の罪業を描いた曲はこのほかに「鵜飼(うかい)」と「阿漕(あこぎ)」があるが、いちばん厳しい状況に陥ったのは、おそらくこの「善知鳥」の猟師だろう。

 

善知鳥の親は、子を取られ悲しみ、朱い血の涙を降らす。その涙に触れればたちまち死んでしまう。猟師は全身がその涙で朱になってしまった。

地獄に堕ちた猟師は、化鳥となった善知鳥に追いかけられる。鳥は、鉄のくちばしを鳴らし、羽をたたき、銅(あかがね)の爪を研いでは、猟師の眼球を引きつかみ、体を裂く。

猟師はあまりのことに叫ぼうとしても、煙にむせて声が出ない。

地獄で善知鳥はおそろしい鷹(タカ)となって、猟師は殺される獲物の雉(キジ)の身分となった。逃げても逃げても逃げられない。

助けてください、と言ったまま猟師は消える。

 

 

 

肉を食べない、と強引な手法を貫いたのは、思春期にありがちな思い込みのはげしさと思慮の浅さもあった。高校生の頃だ。私は肉を食べなくなった。

牛や豚や鶏も命があり、その命をいただいているのに、私は何もしていないという罪悪感と、無造作にパックに詰めてそこらじゅうに売られている肉、それを作り続ける人間が突如許せなくなった。

魚は食べていたので、感情移入しやすい地上に住む哺乳類と鶏に特に反応していたらしい。

あるいは、父方の祖父母が瀬戸内海の島に住んでいたため、そこに行けば大きな食物連鎖の循環の一部として生きているような気がした。それで島の主食である魚は食べられたのかもしれない。

 

弥生時代に農耕が始まってから、この地に住む人は穀物を食べるようになったが、長い長い縄文時代のあいだは狩猟民族、もちろん肉が主食だった。

しかしそこには、哲学、神話が存在したのが、いまとの大きな違いだろう。

彼らは、殺した動物は人間の元へ、食料になりに来てくれた、と考えた。さらに、それは過去の先祖の生まれ変わりや霊が宿る高尚な生物として扱われた。

骨の髄まで自分たちの生活に、文字どおり活かし、神として、また友として、祈りの儀式を捧げた。それは感謝の儀式だった。

動物の命をもらう代わりに、何か御礼をする。いただいたら、返す。動物も人間も対等に扱う。

それが世界の循環を滞らせない技だった。

感謝しなければ、彼らはやって来てくれなくなるだろう。

 

ジビエと言って、牛豚鶏いがいの、熊や鹿や猪や兎などの肉を提供する店が増えた。

猟師の精神や考えを学びに行き、実際に獣の解体作業に参加したりして皆で食べる、そんなイベントが増えている。それも、きっと命のつながりが見えない肉に疑問を感じる人が増えているからだろう。

あるいは3.11で、流通ばかりで成り立つ食糧の危うさと、それに伴い被る第2、第3の被害を知り、危機感を持った方も多いからかもしれない。

そういう過去の思想を探る人などが増える一方、害獣として増えてしまったから食べてあげたほうがいい、という一方的で高圧的な世界観も、かなり顔を出している。

そんな時、苦い気持ちになりながら思い出すのは、「善知鳥」の猟師だ。

地獄で、善知鳥と猟師の立場は逆転してしまった。それはおとぎ話ではないと思う。

 

 

 (2に続く)